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大正11年、大開(おおひらき)町の第1次本店・工場の竣工に伴って本店内での住み込み店員制度が始められた。広くなった社屋を利用して松下幸之助夫妻は店員と起居を共にし、幸之助が直接店員の指導育成にあたるとともに、むめの夫人が3度の食事はもちろん、夜具、枕にいたるまで、身の回り一切の世話をした。 住み込み店員になる人には、最初にそれぞれ○吉トンという小僧名が命名され、毎朝5時に起床。当時は、住み込み店員だけのおはよう朝会と、始業時の朝会と、朝会が2回あった。起床してすぐのおはよう朝会の後で店員は持ち場の掃除(便所、表通り、格子戸、構内など)をし、各自の事務所の清掃をした。 大正14年に入所した人の記録によると「所主(松下幸之助を当時は所主と呼んでいた)から、何ごとにも誠心誠意ぶつかっていく精神を日々くり返して指導され、夫人からは規則正しく過ちのない生活を送れるよう、特に礼儀作法を厳しくしつけられた」という。 店員にとっては、1日の仕事が終わってからの夜の銭湯への往復が、日常自由に外出できる唯一の時間、寝る前には、松下幸之助夫妻のいる居間の前の廊下に正座して、「お先に休ませていただきます。お休みなさい」と挨拶した。さらに、無断外出厳禁、帰宅時間の厳守なども決められていたが、こうした厳しい指導、しつけの反面、月2回の休日には、牛肉のスキヤキが腹一杯食べられるなど、家族としての慈愛をもって育てられたという。 この制度は昭和8年に門真(かどま)に移るまで続いたが、昭和6年ごろの住み込み店員数は15〜16名だったといわれる。
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