熱海会談とは、昭和39年7月9日から3日間、熱海ニューフジヤホテルで開かれた全国販売会社・代理店社長懇談会のこと。
 昭和40年、日本経済は後に“40年不況”といわれる大きな景気後退に直面したが、その前年にはすでに市況の悪化の波が電機業界にも及んでおり、松下電器系列の販売会社、代理店の経営も日増しに厳しさを加えつつあった。深刻な事態を察知した松下幸之助は、会長に退いて3年あまり、業界の人たちと会う機会も少なくなっていたこともあり、この機会に忌憚のない意見を交換しようという趣旨で、この懇談会を開いたのである。
 170社の出席者から出される声は、経営が苦しいという切実な訴えばかりであった。それは結局、松下電器の製品や販売政策に問題があるからであり、松下電器だけが儲かっているのはおかしいという声に集約された。また、松下電器の若い社員の態度に対する苦情や、製品に特徴が乏しいといった批判も次々に出された。試みに、利益が出ている会社に手をあげてもらったところ、170社中わずか20社あまりに過ぎない。事態は予想以上に深刻である。松下幸之助は「何としてもこうしたお得意先の窮状を救わなければならない。それが松下電器を救う道でもある」と痛感した。
 しかしその一方で、松下幸之助には、出席している経営者の努力不足ということも感じられた。自立経営の気概に乏しく、松下電器に完全に依存している傾向が少なからずあるように思えたのである。
 そこで「松下にももちろん改善すべき点がある。だが、皆さん方にも反省していただくべき点があると思う」という趣旨のことがつい口に出る。するとそれに対してまた強い反発の意見が出されるといったやりとりが、2日目の夜まで続いた。
 3日目になっても、同様の意見があとを絶たない。しかし、それらの声に耳を傾けているうちに松下幸之助は、30年近く前のことを思い出していた。初めて電球を発売したころのことである。
 新参の電球メーカーが短期間に一流メーカーと肩を並べるまでになれたのは、全国の代理店が全力をあげて販売に努めてくれたからであり、それによって松下電器の基盤が確固たるものになった。松下電器が今日あるのは、きょうここにおられるお得意先のおかげにほかならない。そう思いいたった松下幸之助は、最後に大略以下のように述べたのである。
 「お互いに言い分もあり理屈もあるが、2日間十分に言いあったのだから、もうこのような議論はやめよう。よくよく考えれば、松下電器が悪かった、この一語につきる。本来、自主自立の経営を進めていただかなければならない皆さんに、松下電器に依存する体質を生ぜしめたのは、われわれのお世話の仕方に当を得ない点があったからであり、心からお詫びしたい。今日松下電器があるのは、本当に皆さんのおかげである。これからは、皆さんに安定した経営をやっていただけるよう、抜本的に考えたい。それをここにお約束する」
 話しているうちに松下幸之助の胸には迫るものがあり、最後の5分間ほどは、涙声で絶句しながらの話となった。会場も粛然とし、過半の出席者がハンカチを目にあてていたという。そして、「われわれも努力が足りなかった。これからはお互いに心を入れ替えてしっかりやろう」と激励しあい、会議は終了した。
 この会議の壇上に、通算13時間も立ち続けた松下幸之助は、出席者の1人ひとりに自筆の「共存共栄」の色紙を贈り、今後の努力を誓いあって散会したが、会議での約束を具体化するために、昭和39年8月から半年間、病気療養中の営業本部長に代わって、その職務を代行し、全国的な販売会社網の確立、営業所を経由しない事業部直販制、新月販制などを基本とする販売制度の改革を行い、難局打開の道をひらいたのである。

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